香水の歴史
歴史1
香水の歴史
香水のはじまりは10世紀前後であり、それまでは香料そのものが利用され、香水と香料の境目も明確ではありませんでした。
古代エジプトでは、ミイラの防腐、殺菌、保存に香料が使用されたことから、香料は薬品的な必要性から生まれた物質と考えられます。
また、旧約聖書に登場するシバの女王は有名なエピソードですが、シバ王国の女王がイスラエルのソロモン王と会見した際、金、宝石、乳香(にゅうこう)、白檀(びゃくだん)などを贈りました。
ここで注目すべきは、白檀(びゃくだん)や乳香などの香料が金や宝石と同等の宝物に見なされていました。
美容や宗教儀式として重宝されてきた香料は香辛料とほぼ同意義であり、古代では東西交易(シルクロード・絹の道)の重要なアイテムでした。
十字軍の東方遠征で香料はヨーロッパにも拡がり、近世の世界的な航海時代でも東西交易のもっとも重要な産物でありつづけます。
香料は、東西貿易の重要産物
ヨーロッパ、中近東(アラビア)、インド、中国、日本の間をめまぐるしく行き来する商船隊がもっとも重視して運んだものは、乳香(にゅうこう)・没薬(もつやく)・白檀・日桂(にっけい)・胡椒・伽羅(きゃら)・イリスなどでした。
現在では考えにくいことですが、香辛料は金銀(ゴールド・シルバー)より高価と言われていました。
現在でも、たとえばブルガリアローズオイルはゴールドと同程度の資産価値があると見なされていますが、古い時代の香辛料は同等に資産価値がありました。
なぜなら香辛料のように軽くて高価なものは交易にうってつけだからです。
香水の歴史
アルコールの発見が香水の起源になります
香水の歴史は、香料の歴史からはじまりましたが 香水の登場は、アルコールが発見されてからのことです。
香水の製造は、製造可能となる10世紀以降から本格化しますが、それまで「香りもの」とは、すなわち「香料」であり、必ずしも液体として楽しまれてはいませんでした。
香水は、香料から分化したものと考えて差し支えないと思います。
香料は、香料・食品・医薬品・化粧品へと分化しましたので、香水は香料のひとりの子供的な存在です。
香水が、必ずしも香料から分化していなかった時代から現代まで、香水の歴史を見ていきましょう。
クレオパトラのバラ風呂、香水文化成立の予感
クレオパトラ(クレオパトラ7世)は古代エジプトプトレマイオス朝最後の女王です。
ローマ帝国屈指の英雄を魅了する絶世の美女と言われていました。
美女かどうかは昔のことで実際のところはよくわからないところですが、バラ(薔薇)に関する言い伝えがいろいろあり、とにかく香水の歴史教科書では、必ずそのエピソードが語られます。
なぜならクレオパトラは体臭をバラ臭に変える努力をした最初の人間として歴史に刻まれているからです。
香水とは言えませんが香水文化成立の予感を感じさせます。
バラ風呂やバラ宮殿など
カエサルとアントニウスといった英雄を迎える際、廊下や寝室にバラを敷き詰めたという話には空想をかき立てられます。
また、クレオパトラが乗った船はバラの香りが漂い遠くからでもそれがクレオパトラの船だとわかったという伝説もありす。
いろいろ誇張されているでしょうから差し引いて考えるべきですが、それでも大量のバラが消費されたことが伺えます。
東西の歴史の語るところでは、権力者が何かの趣味を持っていれば、それは宮人や貴族たちに必ず伝播(でんぱ)しますので、旺盛(おうせい)なバラ需要が推測されます。
そこでこの時代には、すでに権力者向けのバラ畑があり、すでに人工的に栽培されていたのでは?と考えられています。
ローマ時代のバラ風呂
香料が宗教行事や医薬品としてでなく、香粧品(化粧品、トイレタリー)として広く使用されるのはローマ時代からです。
ローマ人は、西洋では珍しいことに水浴(水浴)やお風呂に入る習慣があり公衆浴場もさかんに建設されました。
現在でもイタリアをはじめ、イギリスやフランスなどローマ帝国の支配が及んだ地域に遺跡として数多く発掘されています。
余談ですが、お風呂文化はローマ帝国の崩壊とともにすたれ、その後ヨーロッパ人はお風呂と無縁な生活習慣を築くことになります。
そのため体臭がひどく、それをかくすために香水文化が生まれた、という部分もあることは、皮肉な歴史です。
ローマ時代は、公衆浴場が流行したと同時に「バラ風呂」などバラの花や精油を使用した生活文化が記録に残されています。
クレオパトラによって愛されたバラ風呂は、まだエジプト時代では社会的にはごく限られた一部の人だけが享受できたことですが、一般的に広く(とは言ってもまだまだ貴族など権力者だけの間ですが)バラが使用され始めます。
しかも飲んだり肌に付けたり利用方法も多様化します。
パーティで部屋をバラの花で埋めたり、お風呂に浮かべたりお酒に入れたりしていたようです。
バラの香りを楽しむという点で香水文化の前哨戦的な位置にあります。
アラブ・アラビアの『ローズウォーター』
錬金術は他のものからゴールドを創り出すというファンタスティックな魔法で、それ自体は、やや怪しげな活動ですが、結果的に化学をはじめ科学全体のレベルを上げることになります。
アラビア人たちは、錬金術の装置の一つとして制作されたガラス製や金属製の蒸留装置でもって、バラを蒸留するようになります。
ここでローズオイルとローズウォーター(バラ水、フローラルウォーター)の誕生です。12世紀頃です。
エッセンシャル・オイルを抽出する「水蒸気蒸留法」という手法をはじめて確立し、またローズオイルとローズウォーターをはじめて精製した人物が、アラビアの偉大な科学者兼医学者イブン・シーナ(英名:アビセンナ)でした。
イブン・シーナ先生の『医学範典』(カノン)は近世までヨーロッパの主要大学の医学の教科書でした。
この例からも、この時代、いかにアラビアが進んだ文明を誇っていたか忍ばれます。
イスラムの宗教儀式としてローズウォーターが重宝されたことから、ローズウォーターには安定的な需要が発生します。
アルコールの発見
同時期、同じ蒸留器で発酵物からアルコールが抽出されることが知られるようになりました。
アルコールという物質の存在と、その製法が未熟ながらも生まれたのです。アルコールのアル(al-)は、アラビア語に起因します。
精製方法が確立されたアルコールと、ローズの花や、蒸留されたローズオイル、ローズウォーター(バラ水)はすぐに出会い、幸せなフレグランスが生まれた瞬間です。
香水の原型か? ハンガリーウォーター
アルコールに香料を溶かす製法は、基本的に現在の香水と同じで、現代香水の元祖とも呼ばれます。
この後の「ハンガリーウォーター」を現代香水の元祖とする人もいて意見は分かれるかもしれませんが、この辺が香水の原型です。
このあと十字軍はバラと蒸留器と、バラ水、アルコールの蒸留技術、そして香水をヨーロッパに持ち帰ることになります。
「ハンガリーウォーター」
ハンガリーウォーターをご存知でしょうか?
いろいろな伝説があってよくわかりませんが、ハンガリー王妃エリザベートのために14世紀、ハンガリーの僧院で作られたと言われています。別名『若返りの香水』。
72歳のハンガリー王妃エリザベートに献上され、洗顔、化粧、入浴などに使用され持病のリウマチが治ったばかりか、若さまで取り戻し、ポーランド国王からプロポーズされたという伝説があります。
※間が欲しいです
ハンガリーウォータはシャンプーの後のリンスに用いると髪につやが出ると言われ現在でも使用されています。
当時アラビアで発明されたばかりのアルコールにローズマリーやローズオイルを加えたもので、作り方が簡単なので現在でも手作り化粧品(処方:エタノール+精油)として人気があります。
いかがだったでしょうか!この動画の続きは香水の歴史2として後日アップ致しますのでそちらのチェック、チャンネル登録、Instagramのチェックもよろしくお願いします😊