Calvin Klein の歴史
CKの歴史
アメリカのファッションデザイナーであるカルバン・クライン氏が幼馴染で親友であるバリー・シュワルツ氏と1968年に創設されました。
創業者であるカルバン・クラインは、1942年、ニューヨークのブロンクスで生まれます。そして何と、5歳の頃から既に服のデザインに関心があったと言われており、その才能の早熟ぶりには驚きます。
その後、ニューヨークのマンハッタン・ハイスクールからファッション工科大学(FIT)へ進学し、大学卒業後は、ダン・ミルシュタイン・ハウス・オブ・デザインで勤務。
この頃、父親が経営する食料品店でファミリー・サークル誌を拾うと、偶然にも自分がデザインした女性用コートが載っているのを発見します。これをきっかけに将来、デザインの方向への進むことを決断したクラインは、アパレルメーカーなどを経て、1968年、幼馴染で親友のバリー・シュワルツと共にCALVIN KLEIN(カルバンクライン)社を創業。当時のラインは3着のドレスと6点のコートだけ。さらにシュワルツの父から、1万ドルを借金してのスタートでした。
CALVIN KLEIN(カルバンクライン)の最初の店は、セブンス・アベニューのヨーク・ホテルの中にありました。ある日このホテルで、ボンウィット・テーラー百貨店のマーチャンダイザー、ドン・ポブライエンが間違って6階に降りてきてしまい、偶然にもCALVIN KLEIN(カルバンクライン)のコート・ラインを目にします。これをきっかけにしてボンウィット・テーラー百貨店から5万ドルのオーダーを受けることになり、クラインは最初の成功を掴みました。
1970年代、CALVIN KLEIN(カルバンクライン)は多角経営に乗り出します。72年にスポーツウェア部門を設置し、同年3月には、化粧品・香水の会社を設立。写真家アーヴィング・ペンとのキャンペーンにも成功し、1973年には過去最年少でファッション界のアカデミー賞とも称されるコティ賞を受賞。70年代後半以降は、ジーンズや下着なども手がけるなど、業績を順調に伸ばして行きます。
特ににジーンズの広告キャンペーンでは、当時まだ15歳だった女優のブルック・シールズを器用。タイトなジーンズをはいてセクシーなポーズを取るシールズと、「私とカルバン(のジーンズ)の間には何もない」という挑発的なキャッチコピーは反響を呼びます。その後70年代から80年代にかけてのCALVIN KLEIN(カルバンクライン)のセクシャルな広告は常に議論を巻き起こし、ファッション業界で注目の的となっていきました。
1980年中期以降、CALVIN KLEIN(カルバンクライン)社は、コレクションのサンプルや使用素材などをカンザス州立大学へ寄付したり、エイズ研究に取り組む非営利団体のチャリティーパーティを開催するなど、文化事業や社会貢献などに対して、精力的な活躍を開始します。
さらに92年にはセカンドライン「CK Calvin Klein」を創設、また1995年には、ニューヨーク・マジソン・アベニューに旗艦店(きかんてん)をオープン。同年、ヨーロッパで最初のCALVIN KLEIN(カルバンクライン)コレクションを開催するなど順調な業績ぶりを見せます。
しかし90年代後半から、低価格販売による大衆化によって「CK」の名前の入ったTシャツ等が世の中に出回り、ブランド価値が著しく低下。その時期に流行した下着のボクサーパンツのおかげで何とか会社の業績を維持するも、2001年にはアメリカ市場から「CK Calvin Klein」を撤退することになります。
また、2002年にはCALVIN KLEIN(カルバンクライン社を4億3000万ドル(520億円)で、アメリカのアパレル会社フィリップス・バン・ヒューゼン(PVH)に売却。PVH傘下に入ることになり、2003年には創業者であるカルバン・クラインがデザイナー引退を決意します。 90年代後半から数年間は、CALVIN KLEIN(カルバンクライン)にとっての転換期に入っていました。
2004年、後任デザイナーとしてウィメンズラインのクリエイティブディレクターに就任したのは、フランシスコ・コスタ。メンズラインはイタロ・ズッケーリ。Gucci(グッチ)、BALMAIN(バルマン)などのトップメゾンで経験を積んだコスタと、Jil Sander(ジル・サンダー)やROMEO GIGLI (ロメオ・ジリ)のデザインチームなどを経ているズッケーリ。CALVIN KLEIN(カルバンクライン)というブランドに、新たな風を入れています。
「全てはカッティングから始まる」という創業者の言葉通り、ボディラインを強調した洗練されたシルエットがニューヨークのキャリアウーマンに受けられ、「働く女性」の普及の流れに乗る形で成功したCALVIN KLEIN(カルバンクライン)。さらに近年の作風は、よりシンプルで洗練されたものへ変化を遂げています。
2016年春にフランシスコ・コスタとイタロ・ズッケーリが揃って退任したのち、2016年夏にラフ・シモンズがチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任。カルバン氏同様にミニマリズム系デザイナーでJIL SANDERのデザイナーとして活躍していました。そんなラフの存在は、「カルバン・クライン」に大きな注目をもたらした。ショーには、グウィネス・パルトロウ(Gwyneth Paltrow)やジュリアン・ムーア(Julianne Moore)、ニコール・キッドマン(Nicole Kidman)、ソフィア・コッポラ(Sofia Coppola)などの大スターやセレブが詰めかけ、2018年の第90回「アカデミー賞(Academy Awards)」で主演女優賞にノミネートされたシアーシャ・ローナン(Saoirse Ronan)は授賞式で「カルバン・クライン バイ アポイントメント(CALVIN KLEIN BY APPOINTMENT)」のドレスを着用した。しかし、ラフのコレクションは創造力にあふれていて業界受けはよかったが、一般に売れるタイプの服ではなく、店舗での売り上げが悪かった。そしてラフは、コレクション以外の製品にそれほど真剣に取り組まなかったので、その売り上げも伸びなかった。商業的な裏付けのないアートは、上場企業では扱えないといったことなどの理由から同2018年に偉大なるデザイナー、ラフ・シモンズを退任する形になりました。
退任発表後、スティーブ・シフマン(Steve Shiffman)=カルバン・クライン最高経営責任者が、事情を説明する以下のメールを取締役などに送付した。「『カルバン・クライン』のコレクション事業および事業全体を今後どうするのかについて、現在さまざまな角度から検討している。チーフ・クリエイティブ・オフィサーのラフ・シモンズとは、方向性の違いにより、互いに別々の道に進むことを友好的に合意したと伝えました。そしてあるインタビューでは、ラフの『カルバン・クライン』への貢献に感謝している。彼のおかげで、よりクリエイティブなブランドとなることができた。ラフの今後の活躍、そして彼のブランドのますますの発展を心より願っていると素敵な言葉を残しています。
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